11月30日 鹿児島に生まれる。 | |
子供の頃より海に親しみ、1982年スクーバダイビング指導団体NAUIインストラクター取得、指導歴約30年。 TV、映画の水中スタントや「近藤玲子水中バレエ団」の水中スタッフ等の経験を経て89年、フリーダイビングの神様といわれる故ジャック・マイヨール氏と出逢い、トレーニングパートナーとして親交を深め、フリーダイビングに目覚める。 |
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1992年 東京都小金井市にダイビングスクール "BIGBLUE" をオープン。通常のスクーバに加え,スキンダイビングの深い魅力 を経験できる様々なプログラムを展開。呼吸法やヨガなどを織り交ぜた水中リラクゼーションやメンタルな内容を重視したス キンダイビングを追究。モノフインやフリーダイビング等の指導、また、イルカやクジラと出会うツアーなどを中心とした活動を通じて その素晴らしさを、より多くの人に伝えるのをライフワークとする。 | |
1997年秋、翌年のイタリアでの大会に日本チーム初出場のため、日本初のフリーダイビング協会の足に奔走し尽力をつくし、翌98年、JAS「日本アプネア協会」正式発足。 1998年、イタリア、サルデニア島で行われた「第2回フリーダイビング・ワルドカップ」に初出場の日本代表5人中の唯一の女性選手として 参加、好成績をおさめる。(団体14位) |
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1999年、当時のフリーダイビングの世界記録保持者、ウンベルトペリッツアーリ氏が地元イタリアで主宰する "アプネア・アカデ ミー" に日本人として初めて短期留学。2001年には日本初の "アプネア・アカデミー・インストラクター "として認定され 日本に於けるフリーダイビングのパイオニアとして啓蒙、選手育成に携わる。 | |
2000年フランス・ニース、2001年スペイン・イビザで開催された「フリーダイビング世界大会」にイタリアに続いて連続出場、それ ぞれ女子団体4位、5位の入賞に貢献した。 | |
2002年11月ハワイ・ビッグアイランドで行われた「ジャック・マイヨール・メモリアル・カップ」に於いては、男子団体3位、女子団体2位 という念願の初めてのW入賞とともに「ダイナミック・アプネア」の個人種目で2位(銀メダル)を獲得、日本選手のレベルの高さを アピールした。この大会でのチームメイト、高樹沙耶(女優)がコンスタント53mの女子日本記録を出し、日本のフリーダイビングの知名度UPに貢献してくれた。 | |
2003年、「第一回フリーダイビング日本選手権」にて女子総合優勝。 11月ハワイ・ビッグアイランドにて、USAの女性トップアスリート、アナベル・ブリセノ選手等と共に個人アテンプトにてフリーダイビング競技種目、コンスタント56m(日本女子記録)、ウィズアウト・フイン30m(日本記録)、フリーイマージョ ン52m(日本記録)を成功させ、それまで持っていた、ダイナミック124m(日本女子記録)と合わせ、日本人初の4冠を 獲得。 |
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2004年、「第2回フリーダイビング日本選手権」にて女子総合優勝。 5月キプロス大会でUSAの女性トップアスリート、アナベル・ブリセノ選手等とチーム優勝、個人記録でもスタティックで女子日本記録をマーク、女子総合でも3位入賞。フリーダイビング種目5冠となる。 8月カナダ・バンクーバーで開催された「フリーダイビングチャンピオンシップ」に出場。女子団体5位に貢献。 2005年、5月ハワイ島で開催された「konaチャレンジ」にてフリーイマージョンの記録を53m(女子日本記録)、7月には千葉の館山で開催された「第3回フリーダイビング日本選手権」にて、ダイナミック132m(日本女子新記録)。同年9月フランス・ニースで開催された「第1回コンスタント・インディビジュアル(個人戦)大会」にてコンスタント60m(女子日本新記録)を成功させる。惜しくも世界4位。 2006年度は、TV、映画のスタント、水中演技指導、潜水競技指導などに尽力。幾つかの世界大会を辞退。 2007年度より選手としての復活を目指し再調整、2008年4月バハマの大会にて海洋競技3種目の日本記録を奪還。5月の館山のindoorcupにて、ダイナミック・ウイズフイン159mの日本記録を樹立。総合優勝を遂げ、約2年のスランプより完全復活。 2008年、9月には4年ぶりにワールド・チャンピオンシップに女子日本代表チームのメンバーとして復活出場。日本人初の世界大会出場から10年目にして、日本女子チーム銅メダル獲得に貢献した。 同年、俳優野久保直樹とのコラボでBSjapanで放映された「タヒチ・ルルツ島碧の楽園の物語」、ザトウクジラとの水中ダンスは好評で地上波と共に再放送が繰り返され、翌年DVDとなって発売された。2008年も関西ABC放送で、再度ルルツを訪れ赤ちゃんクジラとのコミニケーションが実現。全国で放映された。 2009年4月前年に続き2度目のバハマの大会に参加、海洋競技フリーイマージョンの日本女子記録を60mに更新、コンスタントウエイトでも71mの女子最深公式記録を達成。 同6月、ジャック・マイヨールを師として同じく慕っていた、ウンベルト・ペリッツァーリ氏率いる「APNEA・ACDEMY」の日本支部の立ち上げを指名され、「APNEA・ACADMY・JAPAN」を設立。安全管理のできるフリーダイバーとインストラクターの育成を使命としての活動をさらに深める。 2009年12月に痛めた耳の「鼓膜形成手術」を受け、再び復活をめざしリハビリを開始する。 2010年7月、日本での開催初の世界大会「ワールドチャンピオンシップin沖縄」にて、日本女子チーム念願の金メダル、男子も銀メダルを獲得、松本にとってフリーを日本に導入して苦節13年目の夢が叶う。 (この大会中に松元は帯状疱疹を煩い、その後約半年以上、ダメージから競技から離れる) 近年は毎年、トレーニングの拠点としているハワイ島で、海や陸の大自然と触れ合うオリジナルツアーツアーや、ザトウクジラと泳ぐツアー(タヒチ・鹿児島離島)を開催している。 50代に入り、現役選手としての末永い活動が期待される。 2011年現在の公式記録 海洋競技 ・コンスタント・ウイズフイン71m ・コンスタントウィズアウト・フイン32m ・フリーイマージョ ン60m POOL競技 ・ダイナミック・ウイズフイン159m ・ダイナミック・ウイズアウトフイン115m ・スタティック5’05” |
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*自然学校<ビーネイチャースクール>講師 | |
*スクーバダイビング指導団体NAUIインストラクター (#6782) | |
*ダイビングスクール「BIGBLUE」主宰 |
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*ハワイ島にて「BIGBLUE・HAWAII」主宰 |
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*「APNA・ACADMY・JAPAN」主宰、同インストラクター(J001) |
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*マイナーアスリートを応援する法人「BLUETAG」所属 No,001 | |
連絡先 〒184−0004 東京都小金井市本町6−5−3 シャトーアスレティッククラブB1 | |
BIG BLUE(ビッグ ブルー)内 |
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TEL 042−387−8301 FAX 042−387−8302 |
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取材、講演等の依頼の連絡はこちらまで bbmeg1130@nifty.com 松元恵はスポンサーを募集しています。 個人、企業、団体など興味がある方は上記アドレスにご連絡下さい。詳しいプロフィールをお渡しします 「TOP」 |